信濃 大熊城


お城のデータ
所在地 長野県諏訪市湖南字大熊
遺 構 曲輪、土塁、横堀
形 式 丘城 築城者: 不明 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
 大熊城は、守屋山から諏訪湖に向けて伸びる支尾根の先端部を利用して築かれている。現在、城跡を中央道が貫通して曲輪群の一部が消失している。

 大熊城の縄張りは、半島状に伸びた尾根筋の背後を堀切で遮断し、堀切から六の曲輪・五の曲輪・四の曲輪、そして最高所に主郭を置き、先端部に向けて二の曲輪・三の曲輪と連郭式に曲輪を並べている。(五の曲輪と六の曲輪の半分ほどが消失)

 中央道に架かる城山橋から東側は、現在畑地となっているがの主郭の土塁と主郭を取り巻く堀切などの遺構は保存状態は良く、主郭への登り口に案内板と標柱が立てられていた。


歴     史
 大熊城は、築城年代や築城者については定かではないが、諏訪氏一族の千野氏が居城していた。但し、いつ頃から千野氏が城主となったかは定かでない。

 天文11年に武田晴信が諏訪頼重を攻めたが、この時千野入道兄弟が大熊城に籠城していたが、高遠頼継と武田勢に攻められ落城した。千野氏は、その後武田氏に従い諏訪武士団の中心的な勢力を誇り、江戸時代には諏訪高島藩の家老として存続した。


お城へのアクセス
鉄 道: JR中央本線上諏訪駅〜バス/北大熊
 車 : 中央道諏訪IC〜国道20号線〜県道16号線
駐車場: なし


ひとくち MEMO
中央道が貫通しているお城。

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