薩摩 田布施城


お城のデータ
所在地 鹿児島県南さつま市金峰町尾下字城栫
遺 構 曲輪、土塁
形 式 山城 築城者: 島津友久 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
 田布施城は、田布施麓の地頭御仮屋があった田布施小学校の東側の丘陵に築かれてる。「田布施麓」のバス停から武家屋敷の名残を見ながら東へと市道の坂道を登ると右手に亀城神社の朱い社殿が見える。ここが田布施城(別名:亀ヶ城)の本丸だ。亀城神社境内には、城の案内板が立てられていて、鳥居脇に僅かだが土塁が残存していた。

 城は、この神社のある本丸を中心に四方にそれぞれ堀切(現在は道路)を隔てて四つの曲輪が配置された縄張りとなっている。これらの曲輪は現在一部宅地敷地になっているほかは、雑木とブッシュに覆われていた。


歴     史
( 田布施麓の武家屋敷 )
 田布施城は、築城年代は定かでないが島津友久によって築かれた。友久は、島津宗家9代忠国の庶長子であったため、田布施の地を分地され相州家を起こし、以後島津相州家の居城となった。

 2代運久が伊作島津善久の未亡人常盤を妻に迎え、善久の遺児を養子にして相州家3代を継がせた。この遺児が後の「島津家中興の祖」と呼ばれている日新斎忠良。島津宗家16代を継承することになる貴久は、この田布施城で誕生している。尚、相州家は、忠良の次男忠将が継いでいる。


お城へのアクセス
鉄 道: JR鹿児島本線伊集院駅〜バス/田布施麓
 車 : 指宿スカイライン谷山IC〜県道22号線〜国道270号線
駐車場: なし。


ひとくち MEMO
島津相州家歴代の居城、島津貴久誕生のお城。

鹿児島県お城
一覧表へ
トップページへ

九州のお城
| 福岡県佐賀県長崎県大分県熊本県宮崎県鹿児島県沖縄県