河内 高屋城


お城のデータ
所在地 大阪府羽曳野市古市5丁目
遺 構 土塁、堀
形 式 平城 築城者: 畠山基国 築城年代: 応永年間


見 ど こ ろ
( 安閑天皇陵の周濠 )
( 不動山坂の櫓台 )
 高屋城は、東高野街道と大和へと通じる竹内街道が交差する交通の要衝である古市を抑える位置にあり、古市駅南側にある石川とその支流に挟まれた河岸段丘を利用して築かれている。

 西から北へと石川の支流が天然の堀となっているので、南北に伸びた丘陵の北端に位置する安閑天皇陵の周濠を領した主郭を置き、南側に二の曲輪、三の曲輪が梯郭式に連なり、二の曲輪と三の曲輪の間には堀と土塁で仕切られた縄張りであったと考えられいる。

 昨今の研究により、二の曲輪の守護館と守護内衆の丹下氏の屋敷があったことが解明されている。また、三の曲輪は城下町の惣構えであったと考えられている。

 城の遺構は、周囲の宅地化が進み古墳以外に殆ど残っていないが、天皇陵東側ある姥不動の境内に高屋城の説明板が設置されている。天皇陵北東の住宅地北端の近鉄南大阪線沿いに櫓台の土塁が残っている。また、天皇陵西側の近鉄長野線沿いにある竹藪には二の丸土塁が残っていた。


歴     史
( 二の丸西側の土塁 )
 応永年間に畠山基国が管領兼河内守護なり、古墳を利用して築城して、守護代遊佐氏が城代となった。応仁の乱以後、守護畠山氏の居城として畠山氏の相続争いの舞台となった。

 戦国期には、畠山高政・安見直政・三好長慶の三勢力により高屋城争奪戦が繰り返され、目まぐるしく城主が入れ替わった。天正3年、最後の城主となった三好康長が織田信長に攻められ落城。その後、高屋城は廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: 近鉄南大阪線古市駅〜徒歩約10分
 車 : 西名阪藤井寺IC〜国道170号線
駐車場: なし


ひとくち MEMO
安閑天皇陵を本丸にした河内守護畠山氏の居城。

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