岩代 綱取城


お城のデータ
所在地 福島県耶麻郡北塩原村北山
遺 構 曲輪、土塁、堀切、横堀
形 式 山城 築城者: 不明 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
 綱取城は、第一中学校の東側に位置する要害山に築かれていて、中学校東側の県道沿いに登城口があり案内板と標柱が設けられている。

 案内板から登り始めるとすぐに城域の先端部にある横堀が出迎えてくれる。ここから山頂の主郭まで急斜面を登ることになるが、曲輪や土塁・堀切の遺構を見ながら登るので疲れを感じる暇はなかった。

 主郭の東側には堀切を隔てて外郭があり、北に向かって尾根筋に幾段もの小曲輪と横堀の遺構があった。また、外郭と主郭部北側の谷筋にも虎口を伴った曲輪群が配されていた。


歴     史
 綱取城は、築城年代や築城者については定かでないが、明応年間には葦名氏宿老松本氏の一族松本勘解由が居城していた。

 永正2年、葦名氏家臣団の対立に起因する葦名盛高・盛滋父子の内訌が起きると、盛滋は松本源三・勘解由を支持して勘解由の居城である綱取城に立て籠もった。しかし、佐瀬・富田氏を支持した盛高と塩川で合戦で敗れた盛滋は伊達氏を頼って落ち延び、綱取城もこの時に廃城となった考えられている。


お城へのアクセス
鉄 道: JR磐越西線喜多方駅〜バス/第一中学校前
 車 : 会津縦貫道塩川IC〜国道121号線〜国道459号線
駐車場: 「会津一望の丘」の無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
葦名盛高・盛滋父子の内訌の舞台となったお城。

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