常陸 瓜連城


お城のデータ
所在地 茨城県那珂市瓜連字入門前
遺 構 曲輪、土塁、横堀
形 式 平城 築城者: 楠木正家 築城年代: 延元元年


見 ど こ ろ
( 主郭北側の横堀と土塁 )
 瓜連合戦の舞台となった瓜連城は、久慈川右岸の河岸段丘崖を利用して築かれている。

 瓜連城は、常福寺境内北側(城趾公園となっている一帯)が主郭で、寺の本堂から墓地となっている辺りが二の曲輪、保育園から南側一帯が三の曲輪、寺の山門から道路を隔てた南側一帯にも外曲輪が配された縄張りとなっていた。現在は、主郭の城趾公園北側から西側にかけて土塁と横堀の遺構が良く残っている他に、墓地南側に二の曲輪の横堀と土塁を見ることができる。特に、主郭土塁上にある稲荷神社付近の土塁は見応えがあった。


歴     史
( 主郭土塁と虎口 )
( 主郭西側の土塁 )
 瓜連城は、延元元年に楠木正家によって築かれた。佐竹貞義は足利尊氏より常陸守護に任じられ北朝方に与したのに対抗するため、南朝方は楠木正成の代官として一族楠木正家を常陸に派遣した。

 延元元年2月、南朝方は瓜連城を拠点として小田治久・大掾高幹・那珂通辰、陸奥北畠顕家の代官広橋経泰らが結集して佐竹氏と合戦が行われた。佐竹貞義の六男義冬がこの合戦で討死する等、合戦に敗れた佐竹氏は金砂山城・武生城へと退き籠城した。しかし、陸奥伊賀盛光など北朝方の支援により態勢を立て直した佐竹氏は、同年12月瓜連城を攻め落とした。

 瓜連合戦後の瓜連城は佐竹氏の領有する城となり、暦応3年に北朝方の高師冬の陣所として使用されて以後、瓜連城に関する記録見られず、応永12年には瓜連城跡へ常福寺が建立されている。


お城へのアクセス
鉄 道: JR水郡線瓜連駅〜徒歩約10分
 車 : 常磐道那珂IC〜国道118号線〜県道61号線
駐車場: 常福寺の参拝者用無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
南北朝時代に行われた瓜連合戦の舞台となったお城。

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