飛騨 鮎崎城



お城のデータ
所在地 岐阜県高山市大新町4丁目
遺 構 曲輪
形 式 山城 築城者: 不明 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
( 右手は主郭のあった軍人墓地 )
 鮎崎城は、高山市街の東側、宮川と大八賀川の合流点に向けて錦山から伸びる半島状の尾根先端部を利用して築かれている。大八賀川を挟んだ対岸には三仏寺城が間近に見える。市街地を挟んで西側には三木氏の本城となった松倉城が正面に見え、金森長近がここに本陣を構えたのが頷ける。

 鮎崎城りは、丘陵先端部のピークに主郭を置き、北側の尾根を削平して二の曲輪を置いた縄張りとなっている。主郭は軍人墓地となっていて、墓地の西端に沿ってある土盛が何故か土塁に見えてしまう。二の曲輪は北山公園となり、一角に鮎崎城の説明板が立てられていた。 


歴     史
( 主郭西側の土塁・・・? )
 鮎崎城は、築城年代や築城者については定かではないが、鮎崎新兵衛尉が居城したと伝えられてる。

 天正11年の賤ヶ岳の合戦に勝利した羽柴秀吉は、秀吉に抵抗する越中佐々成政との同盟者である姉小路氏も討伐対象と見なされた。天正13年に羽柴秀吉は飛騨討伐を金森長近に命じた。飛騨と侵攻した長近は、鮎崎城を本陣として松倉城を攻め落とし、姉小路(三木)氏を滅ぼした。


お城へのアクセス
鉄 道: JR高山本線高山駅〜バス/大新町2丁目
 車 : 中部縦貫道高山IC〜国道41号線〜県道458号線
駐車場: なし。


ひとくち MEMO
金森長近が松倉城攻めの本陣を構えたお城。

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