伊予 仏殿城


お城のデータ
所在地 愛媛県四国中央市大門
遺 構 曲輪、石垣、模擬天守・櫓門・隅櫓
形 式 丘城 築城者: 土肥義昌 築城年代: 暦応元年


見 ど こ ろ
( 模 擬 櫓 門 )
( 模 擬 隅 櫓 )
 仏殿城(別名 川之江城)は、峠を越えれば阿波池田(白地城)とは車で約30分ほどしか離れていない。実際に車で走ってあまりに近いのに驚いた。長曾我部元親が伊予に進入した時、真っ先にこの城を目指しているのも頷ける。今も昔も変わらない。高速道の高松・松山・高知への分岐点は、この川之江にあるのだ。

 仏殿城(川之江城)は、燧灘が北面を洗う小山の上に築かれている。それだけに、瀬戸内海に浮かぶ島々など、城跡から見る風景は絶品だ。

 現在、城跡は「城山公園」となっている。いずれも模擬建築だが、三層の天守・櫓門・隅櫓が建てられている。本丸天守台の下と本丸南側(一段下の腰曲輪)の2ヶ所に本来の仏殿城の石垣が今も残っている。


歴     史
( 本丸虎口の石垣 )
 仏殿城は、暦応元年に河野通政の臣、土肥義昌が築城した。交通の要衝であった仏殿城は幾度も攻撃の的にされ落城している。天正10年、四国統一を目指す長宗我部元親は、川上安勝が守る仏殿城を攻め落城、城主安勝は自刃した。

 天正13年、豊臣秀吉の四国平定戦では、小早川隆景が攻め攻略した。これが仏殿城最後の戦であった。江戸時代の寛永13年に、一柳直家が28,600石を領して川之江陣屋を築いた。寛永19年に直家の養子直次が播磨小野へと移り、以後川之江は天領となり代官所が置かれた。


お城へのアクセス
鉄 道: JR予讃線川之江駅〜徒歩約15分
 車 : 松山道三島川之江IC〜国道192号線〜国道11号線
駐車場: 城山公園の無料駐車場(20台程度)を利用


ひとくち MEMO
どこかで見たことのある天守がここにもあった。

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