下野 御前原城



お城のデータ
所在地 栃木県矢板市早川町
遺 構 曲輪、土塁、空堀
形 式 平城 築城者: 堀江頼純 築城年代: 治承・寿永年間


見 ど こ ろ
 御前原城は、現在シャープの工場群に囲まれた御前原公園となっている。昭和40年までは本丸・二の丸・三の丸と城の旧形を留めていたそうだが、工場建設に伴い本丸を除いて消滅している。

 残された本丸は、ほぼ方形で二重の土塁によって固められている。土塁の間を深さ約6mほどの周濠がめぐり、北と西に土橋を伴う虎口が設けられている。この残された周濠と土塁、県指定史跡にもなっているだけあって、なかなか見応えのある遺構であった。


歴     史
 御前原城は、治承・寿永年間に源義家の孫堀江頼純によって築かれたと伝えられ、頼純は塩谷氏を称した。

 宇都宮頼綱の弟朝業が塩谷朝義の養子となって家督を継ぎ、宇都宮氏の勢力拡大に伴い、源姓塩谷氏もその勢力下に組み込まれた。その後、朝業は川崎城を築き本城とし、御前原城は、塩谷氏の居館の一つとして存続した。

 長禄2年、塩谷教綱が宇都宮城内で謀殺され、塩谷氏は断絶する。その後、宇都宮正綱の四男孝綱が塩谷氏を継いで再興した。孝綱の子由綱と時、天正18年に豊臣秀吉の関東入部に背き、塩谷郡を追われ奥州へと逃れ、この時川崎・御前原両城は廃城となった。 


お城へのアクセス
鉄 道: JR東北本線矢板駅〜バス/早川町
 車 : 東北道矢板IC〜国道4号線
駐車場: 御前原公園の無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
近代的な工場群の真ん中に中世城郭の本丸が残されているお城。

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