豊後 日隈城



お城のデータ
所在地 大分県日田市庄手
遺 構 曲輪、石垣
形 式 平山城 築城者: 宮木豊盛 築城年代: 文禄3年


見 ど こ ろ
( 三隈川河畔から見る日隈城 )
 日隈城は、三隈川に突き出た様な亀山(日隈山)に築かれている。現在、亀山公園として整備されて山上部は日隈神社の境内となっている。城の遺構はあまり残っていないが、大手門枡形虎口の石垣や神社本殿西側に僅かだが石垣の遺構が残っていた。

 日隈城の縄張りは、亀山の最高所にかつては五層天守があった本丸、一二三段式に二の丸、三の丸を配置し、天守以外に三層の月見櫓・丹後丸櫓・二の丸門櫓・北の三の丸櫓などの櫓が建てられ、亀山を取り囲む様に三隈川から分水した内堀で固められていた。 


歴     史
( 主郭西面の石垣 )
 日隈城は、文禄3年に豊臣秀吉から玖珠・日田郡の守代を命じられた宮木豊盛によって築かれた。豊盛は慶長3年には豊後・摂津で1万石を領しているが、関ヶ原の役では西軍に与したが後に東軍に内通した結果半知5,000石となっている。養子頼久(山崎家盛の弟)は慶長10年に6,014石を領して但馬芦屋に陣屋を構えている。

 文禄4年、毛利高政が玖珠・日田郡内で2万石を与えられ日隈城主となり、両郡内の豊臣家蔵入地8万石も預けられた。慶長元年には五層六階の天守などを建て近世城郭へと城を改修した。慶長5年、関ヶ原後に毛利高政は所領を安堵されたが、翌年に豊後佐伯へと移封になったが、日隈城には城代が置かれた。その後、元和の一国一城令により廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR久大本線日田駅〜バス/亀山公園前
 車 : 大分道日田IC〜国道212号線〜県道677号線
駐車場: 亀山公園の無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
対岸から見れば、三隈川に浮かぶ小島のように見えるお城。

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