常陸 大窪城


お城のデータ
所在地 茨城県日立市大久保町4丁目
遺 構 曲輪、土塁、横堀
形 式 平山城 築城者: 大窪氏 築城年代: 天正年間


見 ど こ ろ
( 主郭南側の土塁 )
 大窪城は、大窪城・天神山城・愛宕山城を合わせて広義の「大窪城」とされている。現在は、主郭には江戸時代天保10年に水戸藩が設けた郷校暇修館が復元されている。

 暇修館のある主郭の周囲には土塁が囲繞し、かつては主郭を囲繞していた堀は、北から東は埋められ宅地となっているが、西から南にかけて堀ががよく残っていた。更に東の宅地となっている一帯には二の曲輪・三の曲輪が配置された縄張りであったようだ。


歴     史
( 暇修館南側の土塁 )
 大窪城は、天正年間に大窪氏によって築かれた。平安末期の安元3年に常陸大掾平忠幹の九男宗幹が愛宕山城を築いた。応永年間になり、陸奥石川の石川詮光の三男茂光が佐竹氏に仕え大窪郷を与えられ大窪氏を称し、天神山城を築いて居城を移したと云われている。以後、大窪氏は八代200年に亘って大窪郷を支配した。

 戦国時代の天正年間に大窪城を築いて移った。大窪氏は、佐竹氏の重臣として活躍したが、慶長7年の佐竹義宣の出羽移封に抵抗した大窪久光らは水戸城の奪還を謀ったが失敗し、大窪城は廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR常磐線日立駅〜バス/下宿十文字
 車 : 常磐道日立南太田IC〜国道6号線
駐車場: なし


ひとくち MEMO
岩城街道を押さえた佐竹氏の重臣大窪氏の居城。

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