肥前 結城城


お城のデータ
所在地 長崎県雲仙市国見町土黒庚
遺 構 曲輪、石垣
形 式 丘城 築城者: 不明 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
( 主郭内部の現状 )
 結城城は、別名金山城とも呼ばれ、多比良川と土黒西川に挟まれた小高い丘に築かれていた。城跡の東側、多比良川沿いの民家敷地の一角に結城城の標柱がある。20年近く前に訪れた時にあった説明板も撤去され、標柱も朽ちていたのがちょっと残念。

 結城城の縄張りは、丘の頂上部に主郭を置き、丘陵先端部に出丸を置いた小規模なもので、主郭背後も南の丘との間の切通は、かつての堀切の名残であろうか。主郭内は、以前はゲートボール場となっていたが、今は広々とした広場となっていた。


歴     史
( 堀切を思わせる通路 )
 結城城は、築城年代や築城者は定かでないが、永禄年間に有馬氏から古賀越後が金山(結城)城・東空閑城を与えられたが、天正7年に龍造寺氏の侵攻により落城した。

 慶長7年、元小西行長の家臣結城弥平次が日野江城主有馬晴信の招聘により知行3,000石を与えられ入城した。熱心なキリシタンであった結城弥平治は、晴信の子直純の代になり、慶長16年にキリシタン迫害が激化すると長崎に追放され、結城城も廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: 島原鉄道多比良駅〜タクシー約10分
 車 : 長崎道諫早IC〜国道57号線〜国道251号線〜国道389号線
駐車場: なし


ひとくち MEMO
熱心な切支丹信者の武将が城主となったお城。

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