伊勢 保々西城


お城のデータ
所在地 三重県四日市市西村町字城下
遺 構 曲輪、土塁、空堀、井戸
形 式 平山城 築城者: 朝倉備前守 築城年代: 康正年間


見 ど こ ろ
 保々西城は、北勢中央公園となっている丘陵の南側先端部が半島状に突き出した所に築かれている。農道の脇に案内板があり、ここから山道を登っていくと約10分程で、屋敷と主郭との分かれ道に到着。もうこのあたりから各所に土塁を見ることが出来る。

 主郭の東虎口にたどり着けば、まず「すごい!」っと歓喜の声が思わず出てしまう。虎口の前には、深さ7〜8m程の空堀、そこに掛かる土橋、主郭側には屏風折れの分厚い土塁、そして内枡形の虎口、雑木林の中にこれだけの遺構が見事に残っている。

 保々西城の主郭は、東虎口の他に北にも1ヶ所設けられいるが、北虎口は平虎口形式で防備的にはやや手薄感がある。保々西城には、主郭以外に、周囲を低い土塁で囲まれた家臣の屋敷地の遺構がよく残っているのも、この時代の城郭の遺構としては特徴的ものだ。 


歴     史
 保々西城は、康正年間に茂福城主朝倉備前守によって築かれた。保々西城の詳細な歴史は定かでないが、永禄11年に織田信長の北勢侵攻の際に滝川一益の攻撃を受け、茂福城中野城共々落城し、朝倉氏は滅亡した。 


お城へのアクセス
鉄 道: 三岐鉄道三岐線北勢中央公園駅〜バス/西村
 車 : 東名阪道桑名IC〜県道63号線〜国道421号線〜県道14号線
駐車場: なし


ひとくち MEMO
雑木林の中に見事な空堀と土塁のが残っているお城。

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