美濃 飯羽間城


お城のデータ
所在地 岐阜県恵那市岩村町飯羽間字上切
遺 構 曲輪、土塁、堀切、竪堀
形 式 平山城 築城者: 遠山氏 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
 飯羽間城は、本城の岩村城に最も近い所に築かれた支城で、明照城・苗木城との繋ぎの城として重要な役割をもった城だ。

 城は、岩村川とその支流飯羽間川が左岸を流れる小高い丘に築かれている。城の大手は東側に開かれ、大手口を左右から抱き込むように大手曲輪と出曲輪が設けられている。

 大手から腰曲輪・三の曲輪を経て山頂部の一の曲輪に至る。更に一の曲輪から北に向かって二の曲輪・北の曲輪が配置され、小さいながらも土塁や堀切も残り見応えのある城だ。


歴     史
 飯羽間城は、築城年代は定かではないが岩村城主遠山氏の一族が分地され築城したと云われている。戦国時代には、遠山十八支城に数えられ、飯羽間遠山氏は遠山友勝−友忠−友信と続いた。

 元亀元年、武田信玄の東濃進攻が始まり上村合戦で敗れた遠山岩村宗家はじめ遠山一族は武田の傘下となった。

 天正3年、長篠の合戦に勝利した織田信長は、東美濃から武田勢力の駆逐のため嫡男信忠を大将とする大軍を送り、岩村城の秋山信友を攻めた。この時飯羽間城も攻められ落城、城主遠山友信は捕らえられ、その後信長の命により処刑された。


お城へのアクセス
鉄 道: 明知鉄道岩村駅〜タクシー約15分
 車 : 中央道恵那IC〜国道257号線〜県道406号線
駐車場: なし


ひとくち MEMO
本城岩村城を守りる小じんまりした堅城。

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