壱岐 勝本城



お城のデータ
所在地 長崎県壱岐市勝本町坂本触字城ノ越
遺 構 曲輪、石垣
形 式 山城 築城者: 松浦鎮信 築城年代: 天正19年


見 ど こ ろ
( 大手口右側の石垣 )
( 大手口左側の石垣 )
 勝本城は、勝本港を見下ろす小高い城山に築かれている。壱岐北端の勝本浦は辰ノ島・若宮島・名鳥島に囲まれた天然の良港で、古代より対馬・朝鮮との海路の中継地として栄えていた。

 勝本城趾の城山公園に立って勝本港から対馬までの眺望すれば、秀吉が朝鮮征伐に際して兵站線確保の為に勝本浦に築城を命じたのも当然のことだと素直に納得できる。

 勝本城の縄張りは、築城の目的が兵站基地であったこともあり、防御面では複雑な曲輪配置はされていない。城山山頂部に楕円形をした主郭と周囲を取り囲む帯曲輪からなり、北に虎口が開かれている。

 規模こそ小規模な城だが、主郭に残る大手口の枡形や北面の石垣は、秀吉の命により短期間に肥前の大名による天下普請であったことを物語っている。しかも、石垣の角を崩して破城された姿が朝鮮出兵が終息した証拠を今に伝えている。


歴     史
( 大手門枡形の石垣 )
 勝本城は、天正19年に松浦鎮信によって築かれた。朝鮮出兵の本拠地として肥前名護屋城築城を九州諸大名に命じた豊臣秀吉は、朝鮮釜山までの輸送・連絡の拠点として平戸・壱岐の領主松浦隆信に勝本築城を命じ、有馬晴信・大村喜前・五島純玄にも支援させた。

 城の完成と共に豊臣秀長の家臣本多正武が勝本城に入り、慶長3年まで7年間壱岐の治安と武器兵員の輸送責任者として在城した。その後、慶長の役終結後に役目を終えた勝本城は廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: 郷ノ浦港〜バス/城山
 車 : 郷ノ浦港〜国道382号線
駐車場: 城山公園の無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
短期間に肥前の大名による天下普請で築かれたお城。

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