美濃 城ヶ平城



お城のデータ
所在地 岐阜県大垣市上石津町宮
遺 構 曲輪、土塁、横堀、竪堀、堀切
形 式 丘城 築城者: 不明 築城年代: 戦国時代


見 ど こ ろ
( 主郭虎口と土塁 )
 城ヶ平城・樫原城への行き方は、西高木陣屋に隣接してある上石津郷土資料館で「上石津の山城」のパンフ(無料)と道案内地図が貰え、資料館から道標が随所に設置され迷うことはない。現在、城跡は整備され羽ヶ原地区から遊歩道がある。

 城ヶ平城は、鈴鹿山系の丘陵が西から牧田川へと半島状に伸びる先端部を利用して築かれている。背後の丘陵から堀切で切り離して方形の主郭を置き、北側の沢に向けて帯曲輪が設けられた小規模な縄張りとなっている。主郭周囲には土塁があり、東側の虎口脇には櫓台が残る。また、東からの登り口には二重の横堀と土塁の遺構が良く残っていた。 


歴     史
( 主郭西側の堀切 )
( 東側下段の横堀と土塁 )
 城ヶ平城は、平成31年の調査で戦国時代後半に築かれたと判明しているが、築城者については定かではない。天正の頃に大垣の代官が馬瀬城ヶ平に居住したとの記録もあり、また「明智氏一族宮城家相伝系図書」には明智光秀は多羅で生まれ、多羅は進士家の居城であると書かれている。

 天正10年〜16年、再度慶長5年の関ヶ原の合戦の直前まで多良の地は関一政が領し多良城を居城としていた。

 一政の多良城が何処にあったか明確でなく、関ヶ原後に伊勢亀山へと移った後に多良に入った交代寄合高木三家が関氏の多良城を利用して西高木陣屋など三家の陣屋を設けられたとされているが、近年なって城ヶ平城・樫原城が発見され、多良城の候補の一つとなっている。


お城へのアクセス
鉄 道: JR東海道本線関ヶ原駅〜バス/宮
 車 : 名神高速関ヶ原IC〜国道365号線
駐車場: なし


ひとくち MEMO
新たに確認された多良城候補の一つとされるお城。

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