肥前 梶谷城


お城のデータ
所在地 長崎県松浦市今福町東免字城山
遺 構 曲輪、石垣
形 式 山城 築城者: 松浦 久 築城年代: 延久元年


見 ど こ ろ
 梶谷城は、松浦党発祥の城で中世山城であると、訪れる前に予備知識を仕込んでいた。ところが、実際に訪れてみて、中世城郭にしては立派な石垣、しかも天守台(物見台)まであるではないか!

 二の丸にある案内板に、「文禄の役に備えて豊臣秀吉が命じて近世城郭へと改修させた」と書いてあり、謎が解けたような気持ちになった。眼下に伊万里湾を見下ろす、本丸からの眺めは実にいい。

 城の縄張りは、山頂部を楕円状に削平して周囲を石垣で固めて本丸としている。本丸へは、西側に枡形の虎口(大手門)があり、この虎口を守る櫓台など、この大手門一帯がかなり良好な状態で残っている。

 二の丸は、本丸北側に一段低く削平された曲輪で、ここも周囲を石垣で周囲を固められている。登山道がこの二の丸まで整備されており、ここまで車で登ることも可能だ。もっとも中腹部に駐車場が整備されていて、この辺りの平坦地が居館跡である。


歴     史
 松浦党の祖と言われる源久(松浦久)は、延久元年に梶谷城を築いて居城し、上下松浦郡に所領を拡げた。

 松浦惣領家は、その後拠点を時代と共に伊万里山寺城、唐船城、大智庵城、飯盛城と移し梶谷城は本城から支城となるが、この間松浦惣領家の有力な支城であり続けた。

 永禄10年、平戸城主松浦隆信が惣領家の松浦親を飯盛城に滅ぼし、戦国大名化すると、梶谷城も平戸松浦氏の支城となった。その後、元和の一国一城令によって廃城となった。 


お城へのアクセス
鉄 道: 松浦鉄道今福駅〜タクシー or 徒歩約1時間
 車 : 長崎道武雄北方IC〜国道438号線/伊万里〜国道204号線
駐車場: 城山中腹に無料駐車場あり、二の丸に5台程度駐車スペースあり。


ひとくち MEMO
伊万里湾を見下ろす、本丸からの眺めは最高。

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