常陸 勝倉城


お城のデータ
所在地 茨城県ひたちなか市勝倉字富士山
遺 構 曲輪、土塁
形 式 平城 築城者: 平井明綱 築城年代: 嘉禄2年


見 ど こ ろ
( 幼稚園脇に残る土塁 )
 勝倉城は、那珂川左岸の台地南縁部を利用して築かれている。現在は、勝倉小学校・幼稚園の敷地となっている。殆ど遺構は残っていないが、幼稚園前に僅かに土塁が残っていた。

 勝倉城の縄張りは、現状からは把握することは出来ないが、資料によれば幼稚園・体育館辺りが主郭、小学校校舎が建つ一帯が二の曲輪、グランドが三の曲輪、県道を挟んで西側の防衛省勝倉官舎一帯が外曲輪であったとされ、広大な城域を持つ城であったようだ。


歴     史
 勝倉城は、嘉禄2年に平井明綱によって築かれた。その後、大掾氏一族吉田俊幹が入って以後居城していた。応永33年に江戸通房が水戸城を奪取すると勝倉城は家臣飯島氏が城主となった。天正18年、佐竹義重・義宣父子が水戸城攻略開始すると江戸氏の家臣谷田部通直らが勝倉台で佐竹氏を迎え撃ち全滅している。この時勝倉城主飯島縫殿も討死して勝倉城も落城した。


お城へのアクセス
鉄 道: ひたちなか海浜鉄道湊線金上駅〜徒歩約15分
 車 : 東水戸道水戸南IC〜国道6号線
駐車場: なし


ひとくち MEMO
水戸城の北辺を守り佐竹氏の侵攻を迎え撃ったお城。

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