信濃 北熊井城


お城のデータ
所在地 長野県塩尻市片丘北熊井字町村
遺 構 曲輪、土塁、堀切、横堀
形 式 平城 築城者: 不明 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
 北熊井城は、東西に延びる舌状段丘の先端部を利用して築かれている。山城ならいざ知らず平野部の小高い丘に築かれた城が、往時のままの姿で良く残っているのには驚いた。

 城の縄張りは、武田氏が「大軍が集結しここを拠点に出陣する」機能として十分な広さを確保した城だ。東から丘上に一列に東二の曲輪・東一の曲輪・主郭(本城)・西一の曲輪・西二の曲輪、西三の曲輪が並び、曲輪と曲輪の間には空堀が設けられている。(西二の曲輪と西三の曲輪の間にはない) 

 曲輪の北側は地形に合わせた高い切岸だけだが、南側には東西に横堀が掘られ、南から大手虎口は馬出を伴う武田流の縄張りだ。

 この城の見どころポイントは、主郭の北から南に巡らされた三重の堀と現在は道路になっている主郭と西一の曲輪との間の堀切だ。柔らかい土質かもしれないが、人力でよくもここまで掘ったものだと感心させられた。


歴     史
 北熊井城は、築城年代や築城者については定かでないが、戦国時代には小笠原氏はこの城を重要視して村井氏などの重臣が守備している。

 天文14年、武田信玄は伊那福与城の藤沢氏を降し、援軍の小笠原長時を追って府中へ進入にした時に、北熊井城も武田氏によって落城した。天文19年に小笠原氏が林城を追われ、天正21年には武田氏によって改修され、戦略拠点として活用された。


お城へのアクセス
鉄 道: JR中央本線塩尻駅〜バス/町村
 車 : 長野道塩尻IC〜国道20号線〜県道63号線
駐車場: なし


ひとくち MEMO
三重の堀切と二重の横堀に守られた主郭を持つお城。

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