下総 古河城


お城のデータ
所在地 茨城県古河市中央町
遺 構 曲輪、土塁、堀、移築門
形 式 平城 築城者: 下川辺行平 築城年代: 鎌倉時代


見 ど こ ろ
( 諏訪曲輪の土塁と堀 )
( 観音寺曲輪の土塁 )
 近世古河城は、明治43年から始まった渡良瀬川改修工事により城跡を南北に貫くように堤防が築かれ、工事が完成した大正14年には渡良瀬川河川敷に取り込まれ消滅してしまった。 

 古河城は、渡良瀬川を外堀として築かれた城で、その縄張りは、連郭式に北から観音寺丸・丸の内曲輪・三の丸と南北に連なり、次いで本丸・二の丸が輪郭式に置かれ、更に南に頼政曲輪・辰崎曲輪が並ぶ。丸の内曲輪御成門から東側に出城として諏訪曲輪が置かれた。

 現在、諏訪曲輪は歴史博物館が建てられ、堀と土塁の一部が残されている。また、歴史博物館の北側にある福法寺には乾門が移築され、正定寺には土井氏江戸屋敷の黒門が移築されていた。


歴     史
( 福法寺山門 )
( 正定寺黒門 )
 古河城は、鎌倉時代に下川辺行平によって築かれた。その後、室町時代康正元年に関東公方足利成氏が古河に移り、古河公方と称された。5代足利義氏没後、北条氏の支配下となり、天正18年に豊臣秀吉によって破却された。

 天正18年、徳川家康の関東移封に伴い古河城へは小笠原秀政が3万石で入り城を修改築した。以後戸田松平・小笠原・奥平・永井氏と城主が変わり、寛永10年に下総佐倉から土井利勝が16万石で入って御三階櫓など城の整備拡張して近世城郭古河城が完成した。

 江戸時代を通じて古河は要衝の地として老中など幕閣の居城として重要視され、土井氏5代・堀田・藤井松平・大河内松平・本多・藤井松平と城主が替わり、宝暦12年に肥前唐津から土井利里が7万石で入封して土井氏の居城となり、以後7代続いて明治に至った。


お城へのアクセス
鉄 道: JR東北本線古河駅〜バス/台町
 車 : 東北道館林IC〜国道354号線
駐車場: 古河歴史博物館の無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
渡良瀬川河川改修工事により消滅してしまった関東の名城。
  • 古河城城門の移築先
    福法寺 茨城県古河市中央3丁目9−8
    正定寺 茨城県古河市大手町7−1

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