肥前 唐津城


お城のデータ
所在地 佐賀県唐津市東城内
遺 構 模擬天守、模擬櫓、門、石垣、曲輪
形 式 平山城 築城者: 寺沢広高 築城年代: 慶長13年


見 ど こ ろ
 唐津城本丸がある満島山は、虹ノ松原から続く砂州によって陸繋島となっていた。この結合部分で切り離し東の防備としている。

 松浦川河口に架けられた橋の上から、本丸に建つ五層の模擬天守、櫓門と山頂部にめぐる石垣、その山裾には白い城壁と平櫓が見え、築城当時の姿を現実に見ているような気にさせるお薦めスッポトだ。

 唐津城は、山頂部に本丸を置き、西に二の丸・三の丸を配置し、更に南に外郭を設けた中規模の城であった。現在では二の丸以下の曲輪は市街地となり、堀も埋められてしまったが、市役所前に肥後堀と石垣が、また近くには二層の三の丸辰巳櫓が復元されている。


歴     史
 文禄4年、豊臣秀吉は唐津に寺沢広高を封じた。その後、関ヶ原の戦功で加増され123,000石を領した。広高は、慶長13年に名護屋城を廃して満頭山に築城したのが唐津城である。

 2代堅高は、寛永14年に天草島原の乱の責任を問われ、天草(富岡城)4万石を没収された後、正保元年に自殺して寺沢氏は断絶する。

 慶安2年、播磨明石より大久保忠職が83,000石で入封する。以後、大久保氏2代・大給松平氏3代・土井氏4代続き、宝暦12年に三河岡崎より水野忠任が6万石で入封する。唐津水野氏4代目が天保の改革を行った水野忠邦である。

 文化14年に水野忠邦が遠江浜松へ転封すると、陸奥棚倉から小笠原長昌が6万石で入り、以後4代続いて明治に至った。


お城へのアクセス
鉄 道: JR唐津線線唐津駅〜徒歩約15分
 車 : 九州道福岡IC〜国道202号線
駐車場: 城跡のすぐ近くの有料駐車場(200台程度)を利用。


ひとくち MEMO
日本三大松原の「虹の松原」と白亜の五層天守が・・・。

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