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( 埋められた大職冠口の蛇ヶ池 ) |
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( 現在の大職冠口 ) |
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( 現在の大坂口 ) |
文禄5年に増田長盛が郡山城の惣堀(外堀)を完成させた。総延長5.3kmにも及ぶ外堀は、南流する秋篠川を奈良口付近で東側へと流れを変えて佐保川と交流させ、元の流路を外堀として活用した。JR郡山駅近くの高田大門を挟んで外堀緑地となっている。(B〜Gの外堀が該当)
郡山城は、西の京丘陵の南端部を利用して築かれてる。城の北側は、丘陵谷筋をに設けられた溜池(農業用水)を堀で新たに掘って結んでて外堀を設けた。(N〜Qの外堀が該当)
現在も農業用水として利用されているが、Oの番鐘池付近は大和郡山の名産金魚の養殖池と活用されている。しかし、大職冠口の外堀は蛇ヶ池を利用しているが、池や堀はめられ住宅地となっているが。
この大職冠口付近が城域の最高所で、西側を流れる富雄川に向けて急な地形となっていて、その裾に沿って外堀が構築されている。(Mが該当) 大職冠から東と南に向けてなだらかな傾斜が続く地形で、矢田口から箕山口までの南側の外堀は丘陵先端部を切岸とし南側の外堀が構築され、柳大門付近の八幡堀で中堀と繋がれている。(H〜Lが該当)
郡山城の縄張図と遺跡地図を片手に北から総構えを外堀跡を辿って一周してみた。歩いてみると、普段何気なく通り過ぎていた溜池が、金魚の養殖池が実は外堀の名残であったり、丘陵の端を取り囲むように巧みに地形を利用した惣構えであったことが実感できる。(一周の所要時間 約4時間) |