播磨 上月城


お城のデータ
所在地 兵庫県佐用郡作用町下上月
遺 構 曲輪、土塁、石垣、空堀
形 式 山城 築城者: 得平頼景 築城年代: 正治年間


見 ど こ ろ
 大手門跡付近の登城口脇に、「尼子勝久公400年遠忌記念碑」などの石碑があり、まずは一礼する。細い登城道を登ること約20分。浅くなった堀切を過ぎて、三の丸へ。ここから一段削平地を経て、本丸へと登る。

 城の縄張りは、尾根上に連郭式に曲輪が並ぶ。最高所に上月城で討死した将兵の3基の供養碑がある本丸、南に3段の曲輪、西の尾根筋には二の丸、更に西側には3段の曲輪がある。その先端部には堀切と竪堀群、これら西側の遺構が結構見応えがあった。


歴     史
 上月城は、正治年間に赤松氏の一族得平頼景が築いたと云われているが、諸説在り定かではない。上月城は、山陽・山陰の交通の要所にあり、室町から戦国時代には赤松・山名・尼子氏により争奪戦がくり広げられた。

 弘治3年、赤松政元が入城し「西播磨殿」と呼ばれていた。天正5年、上月城主赤松政範は毛利と結び織田の播磨制圧に抵抗するが、羽柴秀吉の軍勢に攻められ落城して西播磨赤松氏も滅亡する。

 天正6年、毛利氏は上月城奪回のため城を囲み、城主尼子勝久は自刃して名門尼子氏もここに滅亡する。この時、山中鹿之助も捕らえられ、備中松山城へ護送中に殺害された。


お城へのアクセス
鉄 道: JR姫新線上月駅〜バス/仁位橋
 車 : 中国道佐用IC〜国道373号線
駐車場: 歴史資料館の無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
出雲の名門尼子氏滅亡の地となったお城。

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