下野 興聖寺城


お城のデータ
所在地 栃木県佐野市吉水町
遺 構 土塁、堀
形 式 平城 築城者: 佐野国綱 築城年代: 安貞2年


見 ど こ ろ
 興聖寺城は、佐野氏の本城唐沢山城の南麓の平野部に築かれ、位置的に見ても重要な支城であったと考えられる。資料によれば、興聖寺城は現在の興聖寺境内となっている地に本丸が置かれ、北二の丸・南二の丸・三の丸と配し、それぞれの曲輪を堀で囲み、更に城域全体を外堀で囲んだ縄張りであったとか。

 現在では、曲輪・堀のほとんどが住宅地や水田となって消滅しているが、本丸にある興聖寺の周囲には、土塁と空堀が今もよく残されていた。


歴     史
 興聖寺城は、別名清水城と呼ばれ、安貞2年に佐野国綱が一族の岩崎義基の為に築いたと云われている。

 永正年間に岩崎重長は三好岩崎に移り、大永元年より佐野季綱の居城となった。しかし、季綱は興聖寺城を長く居城とせず、家臣の沼田・中江川・河田・天沼・清水・今宮らが交代で城番を務めた。その後、城代として山田若狭守が在城し、佐野氏改易と共に廃城となったと考えられてる。


お城へのアクセス
鉄 道: 東武鉄道佐野線吉水駅〜徒歩約15分
 車 : 東北道佐野藤岡IC〜県道9号線〜県道16号線
駐車場: 興聖寺の参拝者用無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
本の丸にある興聖寺の周囲は今でも土塁と堀に囲まれている・・・。

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