美濃 久々利城


お城のデータ
所在地 岐阜県可児市久々利字薬師洞
遺 構 曲輪、土塁、堀切、竪堀、井戸
形 式 山城 築城者: 土岐康貞 築城年代: 歴応年間


見 ど こ ろ
 久々利城は、可児郷土歴史館の北側の山に築かれている。登城口は、県道沿いにあり、縄張り図付の説明板と石碑があるので迷うことはない。右手の階段を登れば、久々利城主郭部へ至る。(まっすぐ進めば西出丸)両側に土塁が築かれた大手口を入ると大手曲輪で、ここには石組みの井戸が残いる。

 久々利城は、本丸・二の丸・三の丸と段差のある曲輪があり、どの曲輪も木々が切り払われて切岸が良く確認できる。本丸北側の尾根筋に背後を守る腰曲輪をともなった細長い曲輪があり、その北側には3本の堀切が良く残っていた。


歴     史
 久々利城は、歴応年間に土岐康貞によって築かれ、2代康頼から久々利氏を称した。天文年間、久々利氏は金山城主斎藤正義に属していたが、正義は横暴なこともあり、天文17年に久々利頼興(悪五郎)は正義を久々利城に招き謀殺した。

 天正10年、本能寺の変が起きると、それまで金山城主森長可に従っていた東美濃の諸将が反旗を翻した。天正11年、久々利頼興は金山城で謀殺され、久々利城には森家家臣戸田勘左衛門が城番となった。慶長5年、森忠政が信濃川中島に移封され、金山城が廃城となった時、久々利城も廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR太多線可児駅、名鉄広見線新可児駅〜バス/可児郷土館
 車 : 中央道多治見IC〜国道381号線〜県道84号線
駐車場: 可児郷土歴史館の無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
主郭部の曲輪は、良く整備されていて遺構が確認し易いお城。

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