信濃 松代城


お城のデータ
所在地 長野県長野市松代町松代
遺 構 曲輪、天守台、石垣、土塁、堀
形 式 平城 築城者: 武田信玄 築城年代: 永禄3年


見 ど こ ろ
 松代城は、三方を山に囲まれ千曲川を天然の堀とした平城といえど堅固な城であった。しかし、城の規模は信玄の時代からあまり変化していない。

 真田氏が10万石で城主となって、信州随一の大藩の城となったが、外様のため城の規模は拡張されず、後に本丸から御殿を移した花の丸の造営が唯一城の拡張とも云えるだろうか。

 平成14年までの整備事業で、本丸太鼓門・北不明門の2基の櫓門と二の丸の土塁や堀が復元された。復元された北不明門は、太鼓門とは異なり石垣と石垣の間に建てられ、中世城郭の城門を思い出させてくれる古い様式の門だ。

 松代城から川中島の合戦の時、上杉謙信の軍勢が陣を構えた妻女山はすぐ目と鼻の先だ。ここが川中島の合戦の舞台であったことを思い起こさせてくれる。松代城下には、真田宝物館・真田邸・松代藩文武学校など城下町を散策するのもいいもんだ。


歴     史
 松代城は、永禄3年に武田信玄によって築かれ、高坂昌信を城将とした。当初「海津城」と呼ばれていたこの城は、武田氏北信の要の城であった。川中島の合戦は、この城を舞台に繰り広げられた。

 天正10年、武田氏滅亡後に森長可が城主となったが、織田信長が本能寺に斃れると上杉景勝の支配するところなり、天正12年に須田満親が城将となった。

 慶長3年、上杉景勝の会津移封により秀吉直轄地となるが、慶長5年の関ヶ原の合戦前に森忠政が城主となった。忠政は、関ヶ原の戦功により美作津山に移り、慶長8年に家康の六男松平忠輝が城主となった。 

 松平忠輝改易後、甥の松平忠昌が城主となるが、元和5年に越後高田へ移り、交替に酒井忠勝が10万石で入封する。元和8年、酒井忠勝が出羽庄内に移り、代わって信州上田より真田信之が10万石を領して入封した。真田氏は江戸時代を通じて松代を動くことなく10代幸民の時に明治を迎えた。


お城へのアクセス
鉄 道: 長野電鉄河東線松代駅〜徒歩約5分
 車 : 上信越道長野IC〜市道
駐車場: 松代城の無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
信玄と謙信の死闘、川中島の合戦の舞台となったお城。

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