越後 高田城


お城のデータ
所在地 新潟県上越市本城町
遺 構 曲輪、復元三階櫓、土塁、堀
形 式 平城 築城者: 松平忠輝 築城年代: 慶長19年


見 ど こ ろ
 高田公園となっている城跡を囲む幅の広い水堀は、一面が蓮に埋まっていた。松平忠輝に居城として天下普請によって築かれただけに、城の規模としては一 級品だ。工事を急いだのか、それとも石材が集まらなかったのかは知る由もないが、石垣を用いず土塁を用いて築かれている。

 三階櫓が本丸に復元されているが、土塁台上に在るせいかもしれないが、 何か櫓台上にちょこんと建っている感じがする。  


歴     史
 慶長15年、越後75万石の太守に家康の六男松平忠輝が、信濃松代から福島城へ入封し、慶長19年に伊達政宗・上杉景勝などによる天下普請で築かれた。

 忠輝改易後は、酒井家次・松平忠昌次いで松平光長が26万石で入城する。光長は、延宝9年に越後騒動が原因で改易となる。その後、高田は稲葉・戸田・松平(久松)と続き、寛保元年に播磨姫路より榊原政永が15万石で入封して以来、130年榊原氏の居城となり明治に至った。


お城へのアクセス
鉄 道: JR信越本線線高田駅〜バス/高田公園入口
 車 : 北陸道上越IC〜国道18号線/鴨島〜県道38号線
駐車場: 高田公園の無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
天下普請の城、娘婿のために伊達政宗が普請に陣頭指揮したお城。

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