お城のデータ | |||||
所在地: | 岡山県津山市山下 | ||||
遺 構: | 天守台、曲輪、石垣、堀、復元櫓、移築門 | ||||
形 式: | 平山城 | 築城者: | 森 忠政 | 築城年代: | 慶長8年 |
見 ど こ ろ | ||||||
表坂から冠木門から三の丸へ。表中門跡の高石垣に見とれながら、石段を登ると、二の丸四脚門(現中山神社神門)が立ちふさがる。本丸へは復元された備中櫓を仰ぎ見て、切手御門の石段を経て、やっと本丸入口の表鉄御門へ 。 津山城は、明治維新まで南蛮作りの天守が建てられていたが、この天守を中心とした天守曲輪が本丸の一角に形成された複雑な縄張りがされている。津山城本丸北東にある粟積櫓とそれに続く大戸櫓の石垣は、なかなか見応えがある。 裏鉄御門〜裏中御門〜裏下門へと搦め手ルートも、表坂からの登城ルートに決して引けを取らない。むしろ搦め手の方が楽しめるかもしれない。 市内大手町に京橋口の石垣と堀の名残が今も残っている。津山高校同窓会館が建てられているが、会館の南側の空き地から石垣がよく見られる。石垣上に津山城外郭遺構の標識が建てられていた。 |
歴 史 | ||||
慶長8年、関ヶ原の戦功により美作一国186,000石を領して、森忠政が信濃川中島(松代)から入国した。忠政は鶴山に新城を築城開始するが、大坂の陣や幕府からの築城夫役のため、13年の歳月をかけ元和2年に完成した。 森氏は、忠政−長継−長武と続き、元禄10年に4代長成が死去し、5代衆利が 相続のため江戸出府途中に死去、このため森氏は改易となった。しかし、2代森長継は存命であった。幕府は改めて長継を取り立て備中西江原2万石に封じた。その後、森氏は宝永3年に播州赤穂へ移封となった。 元禄11年、越前松平氏嫡流家の松平宣富が津山10万石に封じられた。以後、松平氏が津山を動くことなく、9代続いて明治に至った。 |
お城へのアクセス | |
鉄 道: | JR姫新線津山駅〜バス/観光センター前 or 徒歩約15分 |
車 : | 中国道津山IC〜国道53号線 |
駐車場: | 大手町付近の有料駐車場を利用。 |
ひとくち MEMO | ||||||||
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