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( 堀切の両側に石垣が出土 ) |
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( 本丸西側通路の土留め石積み ) |
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国吉城は、敦賀方面から来ると、国道27号線の椿トンネル入口左側の山(城山)に築かれている。佐柿の集落東側の城山山麓にある「若狭国吉城歴史資料館」の北側一帯が粟屋勝久館跡で、石垣・土塁が残る。
この館から城山山頂の国吉城へと七曲がり(直登に近い)の急な大手道を登る。 途中、食い違い虎口の土塁が残る出丸を経て、本丸と二の曲輪にある堀切へと登る。
国吉城の縄張りは、最高所の本丸から北西の尾根筋に四段の曲輪が配置され、それぞれの曲輪の切岸は高く堅固の城だ。また、徳賞寺背後の丘陵から続く尾根筋からの防御のため、本丸東南の尾根筋には3条の堀切が施された。
本丸は、三角形のなし城中で一番広い曲輪で、東南角に櫓台があり、周囲には原形は失われているが石垣が築かれたいた。本丸虎口は、発掘で石垣づくりで礎石も出土しており、ここに城門が建てられていたことが判明している。但し、瓦は出土しておらず、茅葺きか板葺きの屋根であったと推定されている。
本丸からの眺めも良く、北側は若狭湾から敦賀方面、西側からは佐柿の集落から美浜方面が一望でき、この城が若狭国への入口に構えられた城であることが良くわかる。 |