伊予 来島城


お城のデータ
所在地 愛媛県今治市波止浜字来島
遺 構 曲輪、石垣、岩礁ピット
形 式 水軍城 築城者: 村上吉房 築城年代: 応永26年


見 ど こ ろ
 来島城は、激しい潮流が流れる海の難所来島海峡の西側に位置する来島に築かれている。

 来島の桟橋から道しるべに従って進むと、高い石垣とその前に城跡碑が現れる。来島城は島全体が城域となっていて、山頂部に本丸を置き、島西側の尾根筋を三段に削平して曲輪を配してる。居館は、東側山麓の平坦地に構えられていた。ただ、訪れた時が丁度満潮であったため、島の北側に良く残っているはずの岩礁ピットは海の中。ちょっと残念。


歴     史
( 糸山公園展望台より )
 来島城は、康永26年に村上吉房(顕忠)によって築かれた。来島村上氏は、村上水軍村上義顕が三子を能島・来島・因島と分立させたことに始まる。

 村上三家の中で来島村上氏は早くから伊予河野氏に従い、4代通康は河野通直に寵愛され、天文12年には通直が通康を後継者にしたことから、河野氏譜代の反発が強まり、反対派が来島を攻める来島合戦が起こった。

 5代通総は、天正10年に河野氏に叛き織田方に降ったため、毛利・河野氏が来島を攻め、通総は秀吉の元へと走った。天正13年、秀吉の四国征伐に従い、その戦功で通総は風早郡14,000石を与えられ鹿島城へと移り来島城は廃城となった。

 通総の子来島康親は、その後関ヶ原で西軍に与したため改易となったが、慶長6年に家康の側近本多正信や片桐且元による斡旋で召し出され、豊後森14,000石を与えられ明治まで存続した。


お城へのアクセス
鉄 道: JR予讃線今治駅〜バス/渡し場〜波止浜港〜来島港
 車 : しまなみ海道今治北IC〜県道161号線
駐車場: 波止浜港の無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
来島海峡を征した水軍城。

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