伊賀 丸山城


お城のデータ
所在地 三重県伊賀市下神戸字坂田
遺 構 曲輪、天守台、土塁、櫓台、土橋
形 式 山城 築城者: 北畠(織田)信雄 築城年代: 天正6年


見 ど こ ろ
 丸山駅の南東にある小山が丸山城だ。 本丸から西の丸まで山頂部を全部削平して、堀切・土橋・曲輪が連なっている。しかし、整備状態は良くなく、立木が倒れたままでともかく歩きにくい。

 本丸には、南と北に付け櫓台を伴った天守台がある。天守台上には、大正時代に建立された丸山城址の石碑が建っている。

 また、天守台の周囲は、低い土塁が巡らされ、北の曲輪群からの虎口には二重の空堀と土塁が残っていて、この辺りの遺構がこの城で一番遺構確認がし易いだろうか。本丸から南の丸までは、比較的歩きやすく整備され、南の丸には村の鎮守か小さな社があった。 


歴     史
 伊勢の国司北畠氏に養子に入った織田信雄は、伊賀の領国化を図り、天正6年、伊賀の拠点として重臣滝川雄利に命じて丸山城を築かせた。この築城が、「天正伊賀の乱」の要因となった。

 天正7年には、築城に反発した伊賀の国人たちによって攻められ、一揆軍に占領された。同年、織田信長は、信雄に奪還を命じるが失敗する。

 天正9年、信長自らが4万の軍勢を率いて伊賀に攻め込み、一揆軍の立て籠もる丸山城を始めとする伊賀の城砦をことごとく陥落させ、伊賀を完全に領国とした。

 その後、丸山城主に返り咲いていた滝川雄利が伊勢松ヶ島城に天正12年に移ったころに廃城となった。 


お城へのアクセス
鉄 道: 伊賀鉄道丸山駅〜徒歩約15分
 車 : 名阪国道上野東IC〜国道422号線
駐車場: なし


ひとくち MEMO
、「天正伊賀の乱」の要因となったお城。
  • 丸山城の登城口
    城山の西側を流れる小川に掛かる石橋渡り、簡易水道の貯水池のある西の丸へと登る。遊歩道が在るわけではなく、獣道に近いような登城道だ。また、城の南側の集落から南の丸にある村の鎮守〜本丸へと登城するのが、どうも一般的なルートのようだ。

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