伊予 松前城


お城のデータ
所在地 愛媛県伊予郡松前町筒井
遺 構 なし
形 式 平城 築城者: 不明 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
( 松山城 乾門 )
 松前城は、重信川河口左岸の三角州に築かれてた城で、河口付近の砂丘と湿地を利用して要害とした海城であった。現在の松前城は、住宅地と耕地整理によって全く面影も留めておらず、県道沿いの小公園に石碑が残るだけだ。

 松山城築城の際に石垣も全て松山城へ運ばれ建物も移築された。松山城本丸乾門・筒井門(現在の建物は戦後の復興)などが松前城から移された遺構だとか。また、松山市内にある正円寺山門が松前城から移築されたと伝えられている。


歴     史
( 松山城 筒井門 )
( 正円寺 山門 )
 松前城は、築城者や築城年代は定かではないが、南北朝時代には既に南朝方の会田定遠が居城してた。その後、河野氏の支配する処となり、河野氏の家臣栗上通宗・宗閑が居城したが、天正13年豊臣秀吉の四国征伐で小早川隆景によって攻められ落城した。

 文禄年間には豊臣秀吉の家臣粟野秀用が7万石を領して居城していたが、文禄4年の豊臣秀次切腹事件に連座して秀用は改易され、代わって同年に加藤嘉明が朝鮮出兵の論功により淡路志知城から松前6万石へと移封となった。嘉明は、慶長6年までの間の6年間に松前城の大修築を行った。

 慶長5年、関ヶ原の役で東軍に与した嘉明は、戦功により20万石に加増され、慶長7年に松山城を築城して移り松前城は廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: 伊予鉄道郡中線松前駅〜徒歩約10分
 車 : 松山道伊予IC〜国道56号線〜県道22号線
駐車場: なし


ひとくち MEMO
砂丘を利用したお城も松山へお引っ越し・・・。
  • 松前城の移築門
    正円寺 愛媛県松山市正円寺1丁目 

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