信濃 的場城


お城のデータ
所在地 長野県伊那市高遠町長藤字的場
遺 構 曲輪、土塁、堀切、横堀、竪堀
形 式 山城 築城者: 不明 築城年代: 室町時代


見 ど こ ろ
( 三の曲輪虎口と土塁 )
( 三の曲輪を囲繞する土塁 )
 的場城は、高遠城の北側に位置する城山山頂部に築かれていて、眼下を杖突峠へと通じる諏訪街道が通り、蓮華寺境内付近に居館があったとすれば、武田氏築城の高遠城以前の高遠氏の居城がこの的場城であったとしても何の不思議でもない。

 蓮華寺の東側にある香福寺裏手の獣除けゲートから谷筋をひたすら山頂目指して直登すると横堀と土塁に囲まれた三の曲輪へたどり着く。

 的場城の縄張りは、城山山頂部に主郭を置き、南側の尾根筋に二の曲輪・三の曲輪を、背後に四の曲輪と五の曲輪を配し、北側の尾根筋とは堀切で背後を遮断している。

 二の曲輪・三の曲輪には曲輪を囲繞する土塁がよく残り、西側には横堀と土塁が連なり、更に斜面には竪堀が幾筋も掘られていて、これらの遺構は山城を堪能させてくれる。


歴     史
( 三の曲輪西側の横堀と土塁 )
 的場城は、築城者は定かでないが発掘調査によって室町時代中期から後期頃に築かれたと判明している。

 南北朝時代に諏訪信員が高遠入り、高遠氏を称して天文21年に高遠頼継が武田信玄によって甲府にて自刃させられるまで、高遠氏7代に渡って高遠を支配した.が、高遠氏の「高遠城」が武田氏が縄張りした高遠城の地にあったのか判明していない。


お城へのアクセス
鉄 道: JR飯田線伊那市駅〜バス/高遠
 車 : 中央道伊那IC〜県道87号線〜国号361号線
駐車場: なし


ひとくち MEMO
土塁と横堀によって複雑な縄張りを形成しているお城。

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