信濃 高遠城


お城のデータ
所在地 長野県伊那市高遠町東高遠
遺 構 曲輪、櫓、門、石垣、土塁、空堀
形 式 平山城 築城者: 武田信玄 築城年代: 天文16年


見 ど こ ろ
 高遠城は、月誉山の西丘陵を利用して築かれた城で、本丸を中心に二の丸・南曲輪・勘助曲輪・法幢院曲輪・笹曲輪などの曲輪が段階的に配置された縄張りで、虎口の城門部分に僅かに石垣を築いているが、大部分が芝土居となっていて、空堀は結構深い。

 縄張り図を片手に城内を歩き回っていて、南曲輪から本丸へは直接入れないはずが、新たに通路(土橋状に)が付けられていた。建物の遺構として、大手門・問屋門・搦手門(久保寺に移築)と明治時代に再建された太鼓櫓がある。 


歴     史
( 大手桝形の石垣の一部 )
 天文14年、武田信玄は諏訪氏の上原城を攻略すると、次ぎに諏訪より杖突峠を越えて高遠に進入する。高遠城主高遠頼継は、ついに信玄に城を明け渡す。

 天文16年に信玄は、伊那侵略の拠点として山本勘助・秋山信友に命じて大改修を行った。保科正俊・秋山信友・武田勝頼・武田信廉、そして仁科盛信が城主となった。

 武田氏滅亡後、毛利秀頼・京極高次・保科正光・正之・鳥居忠春と続き、元禄4年内藤清枚が33,000石で入封して以来、内藤氏が8代この地を領して明治に至った。


お城へのアクセス
鉄 道: JR飯田線伊那市駅〜バス/高遠
 車 : 中央道伊那IC〜国道361号線
駐車場: 高遠城の無料駐車場を利用。(期間により有料)


ひとくち MEMO
戦国の雰囲気を良く残しているお城。
  • 高遠城の縄張り図(現地案内板より)
  • 高遠城の移築門
    久保寺 長野県岡谷市湊2丁目

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