信濃 飯田城


お城のデータ
所在地 長野県飯田市追手町
遺 構 曲輪、移築櫓門、現存門、石垣、堀
形 式 平山城 築城者: 坂西長由 築城年代: 建保年間


見 ど こ ろ
( 水の手門の石垣 )
( 赤 門 )
 飯田城は、南の松川と北の谷川に夾まれた河岸段丘の先端部を利用して築かれた城だ。

 縄張りは、段丘東側先端部に本丸を置き、西へ向かって二の丸・桜丸・出丸と曲輪が配置されている。

 現在城の遺構は、殆ど残っていないが、僅かに本丸跡に建つ長姫神社の社裏に残る石塁と、美術館東隅に本丸と二の丸を隔てている空堀を見ることができる。また、追手町小学校東側の坂道を下ると水の手門跡の石垣が残っている。美術館の構内に、飯田城に関する説明板・二の丸御門推定地などの案内表示がある。

 旧城内の建物の遺構として、桜丸御門(通称 赤門)が市立図書館脇に残っている。赤門以外の建物の遺構としては、桜丸門と二の丸八間門移築現存している。
 


歴     史
( 二の丸大通り跡 ) 
( 経蔵寺山門 )
 飯田城は、建保年間にこの地の地頭に任じられた坂西長由によって築かれたと云われている。戦国時代には、天文23年に武田信玄が伊那に侵攻して、永禄5年に伊那郡代となった秋山信友が坂西氏築城の飯田城を堅固な城へと改築する。

 天正10年に武田氏滅亡した後、伊那10万石の領主として毛利秀頼が入城、次の京極高知が文禄2年に飯田城を近世城郭へと改修する。

 慶長5年、関ヶ原の戦功により京極高知は丹後宮津へと移り、代わって下総古河より小笠原秀政が5万石で入るが、慶長18年に信濃松本へと移った。

 元和3年、脇坂安元が伊予大洲より55,000石で入封する。寛文12年に2代安政が播磨龍野へ移封されると、寛文12年堀親昌が下野烏山より2万石で入封し、明治まで堀氏が代々この地を領した。


お城へのアクセス
鉄 道: JR飯田線飯田駅〜徒歩約15分
 車 : 中央線飯田IC〜国道153号線
駐車場: 市立美術館の駐車場を利用(無料)


ひとくち MEMO
めずらしい朱塗りの薬医門が現存するお城。
  • 飯田城城門の移築先
    二の門 木下氏宅 長野県飯田市松尾久井(目標は近くにある竜門寺)
    桜御門 経蔵寺 長野県飯田市上郷

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