下野 壬生城


お城のデータ
所在地 下都賀郡壬生町本丸1丁目
遺 構 曲輪、土塁、堀、模擬城門、移築門
形 式 平城 築城者: 壬生胤業 築城年代: 寛正3年


見 ど こ ろ
 かつての壬生城は、本丸・二の丸・三の丸・東曲輪・下台曲輪・正念寺曲輪と六つの曲輪が輪郭式に配置され、これらの曲輪は土塁と堀によって囲まれ、本丸は約140m四方の方形で、南と北に虎口が設けられていたとか。 

 現在の壬生城は、本丸南側の土塁と空堀が残り、二の丸虎口跡に復元門が建てられて、本丸と二の丸の一部が城址公園となっていた。尚、移築された城門が小山市内の民家に残されている。


歴     史
( 移築現存門 )
壬生城は、寛正3年に壬生胤業によって築かれ、以後胤業−綱重−綱房−綱雄と4代渡って居城した。天正4年、綱雄が叔父周長により暗殺された。綱雄の子義雄は即座に叔父を討ち、父の仇を報いたがこれを機に居城を鹿沼城へと移し、壬生城へは城代を配した。天正18年、秀吉の小田原攻めに際して壬生義雄は、小田原城へ籠もり北条氏と共に滅亡した。

 壬生城は、結城・日野根・阿部・三浦氏と城主が代わり、元禄5年松平輝貞が入封したが元禄8年には上野高崎へと移り、近江水口より加藤明英が入った。正徳2年に加藤嘉矩と入れ替わって鳥居忠英が近江水口より3万石を領して入封、以後鳥居氏が8代続いて明治に至った。


お城へのアクセス
鉄 道: 東武鉄道宇都宮線壬生駅〜徒歩約15分
 車 : 北関東道壬生IC〜県道2号線
駐車場: 壬生城址公園の無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
中世から江戸時代まで存続したお城も今では僅かに土塁と堀が残るだけ・・・。
  • 壬生城城門の移築先
    一般民家 栃木県小山市本郷1丁目

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