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| ( 復元後の三日月陣屋 ) |
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| ( 復元前の三日月陣屋 ) |
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| ( 現存する表門 ) |
三日月陣屋は、御殿山から東に形成された扇状地の要の場所に築かれている。この陣屋を主郭、東〜南へと流れる志文川が天然の外堀なり、二の曲輪・三の曲輪に相当するように家臣団の屋敷が割り振られ、東に向けて大手門に当たる表門が設けられ、現在は水田となっているが表門の左右には水堀が構築されていた。
明治以後、表門は西法寺(たつの市新宮町鍛冶屋)に移築されていたが、平成29年に本来あった場所近くに再移築されている。また、陣屋外郭には、表門以外に徳平門・志文門・塚崎門・西脇門が設けられていたが、いずれも現存していない。
陣屋跡は長い間荒れるに任されていたが、近年陣屋跡の発掘調査と復元等の整備が進み、移築されていた物見櫓が元の位置に移され、中御門、通用門、長屋等が復元された。陣屋内部は、現在御殿部分が発掘調査後埋め戻され、それ以外のところは農地となっている。
陣屋長屋内に藩政時代の城下町三日月の町割図が紹介されれている。それによると、陣屋の西側に森家を祀る列祖神社と城の守護社日岡八幡宮があり、共に陣屋の一曲輪を構成していた。列祖神社内には陣屋の築庭の一部が現存している。
また、明治維新前には、陣屋西側にある三方里山に演武場(現在の三方里山公園)と称した練兵場を構築している。現在も公園の片隅にはこの時に築かれた石垣が、北と南と二箇所の虎口部分に残っている。 |