豊前 光岡城


お城のデータ
所在地 大分県宇佐市赤尾字光岡
遺 構 曲輪、土塁、空堀
形 式 山城 築城者: 赤尾種綱 築城年代: 貞和6年


見 ど こ ろ
 光岡城は、規模の小さい在地領主の詰の城だが、発掘調査が行われ土塁や空堀が復元され、城址公園として整備され、城の遺構を充分に確認できるモデル的なお城だ。

 光岡城は、隅丸方形状の単郭式縄張りで、南北140m×東西80mの規模がある。城の周りに掘られた空堀は、深いところで内側の土塁上から堀底まで約9m程もある。 曲輪の東側に土橋が設けられ、ここが郭内への虎口となっている。

 曲輪の周囲には高さ2m程の土塁が巡らされ、3ヶ所に櫓台が築かれている。最近の発掘調査の結果、郭内部に掘立柱建物2棟、柵列が確認され、建物の柱部分だけが復元されている。小高い丘陵の山頂部に築かれた光岡城からの眺めは、宇佐・中津方面はもとより、 周防灘や国東半島が一望できる。


歴     史
 光岡城は、貞和6年に赤尾種綱によって築かれた。赤尾氏は、大蔵氏の一族と云われ、宇佐郡高家郷吉田の地頭で代々大内氏に臣従していた。弘治2年、大友義鎮が豊前に侵攻すると、光岡城主赤尾賢種は大友氏に降り、山田隆朝を攻めている。

 天正8年頃、大友離れが進む豊前では、城井鎮房・長野統秀や時枝城主時枝鎮継らの軍勢が大友氏に従う光岡城を攻め、城主赤尾統秀を始め一族郎党を攻め滅ぼした。光岡城は、天正16年の豊前一揆以後、再度一揆勃発を防ぐ意味もあり破却され廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR日豊本線宇佐駅〜バス/笠松
 車 : 東九州道IC〜国道10号線/下佐野〜市道
駐車場: 光岡城趾公園の無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
発掘調査され城址公園として土塁や空堀が復元されているお城。

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