紀伊 京 城


お城のデータ
所在地 三重県南牟婁郡紀宝町大里字倉本
遺 構 曲輪、堀切、竪堀、石垣
形 式 平山城 築城者: 堀内氏善 築城年代: 天正16年


見 ど こ ろ
 京(みやこ)城は、大里地区の相野谷中学校東側の小山を利用して築かれている。北を流れる相野川、東を流れる跡田川が堀の役目を果たしている地形であった。

 京城の縄張りは、山頂部に主郭を置き、堀切を隔てて南側に物見曲輪と云える曲輪を配置している。主郭東側には帯曲輪と虎口が開かれ、山腹の4段に分かれた居館曲輪へと繋がっている。

 この城の見どころは、何と言っても主郭北側にある二重の堀切、しかも外側の堀切は岩盤を掘りきったもので、「見事」の一言に尽きる。二重堀切の更に外側には横堀と畝状竪堀の遺構が見られ、こちらも必見の価値在り。


歴     史
 京城は、天正16年に起こった北山郷の天正一揆制圧の際、北山街道を押さえるために、新宮城主堀内氏善によって築城された。堀内氏は、代々熊野新宮別当を代々勤めた家柄で、氏善の代に南北牟婁郡を手中に収め、豊臣秀吉の紀州征伐以後秀吉に臣従した。

 慶長5年、関ヶ原の戦いでは西軍に与し敗戦により居城を捨て京城に蟄居した。氏善は後に許され、肥後熊本城主加藤清正に仕えて宇土城代を務めた。この肥後へ出立した城が京城である。


お城へのアクセス
鉄 道: JR紀勢本線新宮駅〜バス/大里
 車 : 阪和道みなべIC、伊勢道伊勢IC〜国道42号線〜県道35号線
駐車場: なし


ひとくち MEMO
岩盤を掘りきった二重堀切が見事。
  • 京城の登城口
    二段に分かれた館跡まで案内板から石段があり、墓地となった上の館跡へ登る途中、左手へと登る山道(道しるべあり)を登る。

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