岩代 宮森城


お城のデータ
所在地 福島県二本松市小浜字上館
遺 構 曲輪、石垣、土塁、礎石
形 式 山城 築城者: 宇都宮氏広 築城年代: 応永3年


見 ど こ ろ
 宮森城は、小浜川にそって北に突き出したような独立丘陵の築かれた城だ。この城は、上館とも呼ばれ、小浜城(下館)と連携して機能を発揮することが出来る、国人領主の本城の典型的な例と云える城だ。

 現在は、本丸の一角が神社の境内となっている。下草が綺麗に苅られていたが、本丸内を探すが資料にある礎石は確認できなかった。また、後世のものか、城の遺構かは分からなかったが、神社の社殿脇に土塁があり、また狛犬の脇の畑には土止めの石積みがあった。


歴     史
 宮森城は、応永3年に宇都宮氏広によって築かれ、文明3年は四本松城主石橋氏の重臣大河内修理が修築した。戦国時代、主家石橋氏を凌ぐ勢力へと成長した小浜城主大内義綱は、天正8年に主家と大河内氏を倒した後に宮森城へと居城を移し、塩松一円を領した。 

 天正13年、大内定綱を破り塩松領を手に入れた伊達政宗は小浜城に、父輝宗が宮森城に入り二本松城主畠山義継と対峙した。畠山義継の伊達臣従で和議が為るが、この礼に訪れるた義継に伊達輝宗が拉致され、阿武隈川河畔にて輝宗が義継共々政宗が放つ銃弾に斃れる事件が起きた。

 宮森城は、その後天正19年の秀吉による奥州仕置きの結果、会津蒲生氏郷の所領となった。江戸時代、寛永20年には二本松城主丹羽氏の所領となり城代が置かれたが、やがて廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR東北本線二本松駅〜バス/殿原
 車 : 東北道二本松IC〜国道4号線〜国道459号線〜県道40号線
駐車場: なし。


ひとくち MEMO
大内氏の本城となったお城。

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