下総 水海城


お城のデータ
所在地 茨城県古河市水海字明神耕地
遺 構 なし。
形 式 平城 築城者: 簗田満助 築城年代: 永享7年


見 ど こ ろ
 水海城は、三方を沼に囲まれた微高地に築かれている。現在ではかつての沼も堀なども埋め立てられ、城の遺構などは何も残っていないが、発掘調査によれば、水海小学校の南側にある神明社の境内から畑地となっている一帯が主郭があったところで、約50〜70m四方の方形居館で形式で、更に西側へと2〜3の曲輪があったと推定されているとか。


歴     史
 水海城は、永享7年に簗田満助によって築かれた。満助は足利持氏に叛旗を翻した佐竹義憲の降伏・帰参を斡旋したことで、騎西郷と関宿7ヶ村を与えられて水海に居住した。

 古河公方の重臣であった簗田氏は、主家古河公方の勢力衰退すると北条氏に降伏し、天正2年に簗田持助は居城関宿城を北条氏に明け渡し、支城であった水海城へ移る。天正18年、豊臣秀吉の小田原征伐に際して簗田助縄は北条氏に与した為、戦後改易となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR東北本線古河駅〜バス/水海寺前
 車 : 圏央道五霞IC〜国道4号線〜国道354号線
駐車場: なし。


ひとくち MEMO
古河公方足利氏の重臣簗田氏累代の居城。

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