日向 穆佐城


お城のデータ
所在地 宮崎県宮崎市高岡町小山田字麓
遺 構 曲輪
形 式 山城 築城者: 足利尊氏 築城年代: 元弘年間


見 ど こ ろ
 穆佐城は、穆佐小学校の背後にある東西に長い丘陵上に築かれ、大淀川とその支流が丘陵を挟むように流れる要害の地であった。

 現在、城域はほとんど植林されているが、登城口にある縄張り図(推定)を元に城内を何とか探索でき、虎口や曲輪の切岸などの遺構をみることができる。高岡町では、高岡城と同様にこの穆佐城も公園化して保存することを計画している。


歴     史
 穆佐城は、元弘年間に足利尊氏によって築かれ、南北朝の争乱期には日向守護畠山直顕が穆佐城を拠点となった。応永年間、伊東氏が領していた穆佐城へ薩摩の島津元久が攻め取り、その子久豊を城主とした。

 島津久豊が薩摩に戻り宗家家督を継ぐが、文安2年に伊東氏によって奪取され、伊東48城の一つとなった。天正5年、伊東氏没落により島津氏の所領となり、樺山則久が城主となった。 その後、元和元年の一国一城令にて廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR日豊本線宮崎駅〜バス/穆佐小学校前
 車 : 東九州道宮崎西IC〜国道10号線〜県道28号線
駐車場: 穆佐小学校裏の教職員用駐車場を利用。(穆佐城見学者のみ)


ひとくち MEMO
整備して公園化計画がある中世山城。

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