常陸 那珂西城


お城のデータ
所在地 茨城県東茨城郡城里町那珂西字東原
遺 構 曲輪、土塁、横堀
形 式 平城 築城者: 那珂通泰 築城年代: 久安5年


見 ど こ ろ
( 大手口付近の横堀と土塁 )
 那珂西城は、那珂川と支流の西田川に挟まれた石塚台地南端部を利用して築かれている。「本城」・「中城」・「兵庫坪」と呼ばれる三つの曲輪から構成された縄張りとなっている。

 現在の宝憧院境内となっている一帯が本城と呼ばれる主郭で、東西120m×南北105mの規模があり、周囲には土塁と横堀が囲繞して、北西部に土橋を伴う虎口が大手口とされている。この囲繞する土塁と横堀は見応えがあった。二の曲輪の中城は、主郭の南側に位置し現在は畑地となっている。三の曲輪の兵庫の坪もまた畑地で土塁の一部が残存していた。


歴     史
( 主郭西側の土塁 )
 那珂西城は、久安5年に那珂通泰(藤原秀郷流)によって築かれた。近年の研究で承久3年に大中臣氏系那珂氏によって築かれた説が有力となっている。

 南北朝時代、那珂通辰は南朝方に与して北朝方の佐竹氏と対峙した。建武3年、通辰は一族と共に佐竹氏の籠もる西金砂郷城を攻めたが、佐竹勢に南朝方の拠点瓜連城が落とされ退路を断たれた通辰は佐竹勢に包囲され太田城近くの勝楽寺にて自刃した。

 那珂西城は、室町時代には佐竹氏の支配下に置かれるようになり、佐竹氏による那珂西郡の支配拠点の城となった。慶長7年の佐竹氏の出羽移封に伴い、那珂西城は廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR常磐線水戸駅〜バス/宝憧院前
 車 : 常磐道水戸北SIC〜国道123号線
駐車場: 宝憧院の参拝者用無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
お寺の周囲は深い横堀と土塁が囲繞していた・・・。

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