楢原城は、駒形大重神社の裏手、葛城山の支尾根中腹に築かれている。室町時代から戦国時代にかけて勢力を誇った楢原氏の詰の城(根古屋は楢原平城)だけに、葛城地域では最大規模の城だ。
葛城山からの尾根筋を五重の深い堀切で分断して背後を固めた『奥城』、尾根筋のピークに主郭を置き、東に向かって階段状に曲輪が並んだ連郭式の縄張りで、北側の斜面には横堀を伴う畝状竪堀群がある。
『奥城』東側前方の尾根筋に『中城』が築かれている。『中城』は、ピークに主郭を置き、背後の西側には三重の堀切を設け、7段の曲輪が尾根筋に並ぶ。更に堀切を隔てて土塁を伴う東の曲輪群が構築されている。『中城』の西曲輪群の両側には見事な畝状竪堀群が残っている。『中城』西の曲輪群北側尾根筋に土橋を伴う堀切が2条ある。
この堀切より東側が『前城』と呼ばれている曲輪群で、尾根筋の先端部まで階段式の曲輪には、土塁などこれといった防禦が施されていない。ここにはかつて左音寺と呼ばれた中世寺院が建っていたとか。
『奥城』・『中城』・『前城』とも倒木がいたるところあり結構荒れているが、それでも幾条にも掘られた堀切、これでもかと云わんばかりに掘られた畝状竪堀群など中世城郭を満喫させてくれる一城だ。 |