信濃 天正寺仁科氏館


お城のデータ
所在地 長野県大町市大町字北原
遺 構 曲輪、土塁、堀
形 式 居館 築城者: 仁科氏 築城年代: 鎌倉時代末期


見 ど こ ろ
 天正寺館は、大町小学校の東側にある天正寺境内が館があった所だ。資料によれば、内郭と外郭が輪郭式に配置され、各曲輪の周囲には土塁と堀が設けられていたとか。

 現在、天正寺北側の道路に面した当たりに土塁と堀が残り、寺の西側の墓地にも土塁が残っている。(但し、西側は土塁の上まで墓地化してる)また、寺の東側に外郭の堀跡と土塁が僅かであるが残り、ここに案内板がある。寺の境内、本堂正面に「仁科城趾」の立派な石碑が建てられている。寺の山門が館の大手口に当たるとか。


歴     史
 天正寺館は、鎌倉時代末期に仁科氏によって築かれ、館之内館から天正寺館へ居館が移された。

 仁科氏は、南北朝時代には南朝方として戦い、応永7年には仁科盛房が村上満信らと供に大塔の合戦では守護小笠原長秀を破っている。

 戦国時代、諸説があるが仁科盛政は武田信玄に従ったが、永禄4年に信玄によって甲斐にて殺害された。盛政の死によって仁科氏嫡流は滅亡するが、信玄の五男盛信が仁科氏の名跡を継承した。天正10年、織田信長が信濃へ進攻すると、仁科盛信は高遠城に籠城したが、織田信忠の軍勢に攻められ自刃した。


お城へのアクセス
鉄 道: JR大糸線信濃大町駅〜徒歩約15分
 車 : 長野道豊科IC〜県道57号線〜国道147号線
駐車場: 天正寺の参拝者用無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
寺の周りには今でも堀跡が残る館。

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