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( カレイ山から見る能島城 ) |
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( 三段に削平された曲輪 ) |
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( 桟橋付近から鯛崎島を見る ) |
能島は、宮窪瀬戸の激しい潮流(最大10ノット:時速約18.5km)が島の周囲に渦巻く。船の航行の難所でもある。能島へは宮窪の漁港から船で渡るしかないが、春の桜のシーズンに数日だけ上陸することができる。今回は、特別に学芸員の方に案内され上陸するすることができた。
能島城は、能島(本城)と鯛崎島(出城)全体に築かれた水軍城(海賊城)だ。ここを根拠地にしていた村上氏は、瀬戸の難所を航行する船から通行税(関銭)を取り、船の安全航行を保障していた。もっとも、関銭を払わなかった時は本当の海賊になるのだが・・・。
能島城は、島の中央部に掻き揚げ式の主郭を置き、主郭を取り囲む様に二の曲輪、更に西側に三の曲輪と三段に削平された曲輪が配され、主郭南下には出丸を設けた縄張りとなっている。
桟橋から石垣が積まれた平坦地に城跡碑が立てられていたが、この場所には発掘調査の結果、建物遺構は確認されていないとか。むしろ三の曲輪からは鍛冶施設の遺構など、生活空間としての遺構が出土しているとのこと。
能島城の海岸には、岩礁ピットが数多く見受けられ、中でも直径1m程の「大穴」と呼ばれるピットが2ヵ所ある。島の北側にある砂浜にも同様に岩礁ピットがみられ、この砂浜が「舟溜まり」であった。能島城の大手口はこの砂浜の舟溜まりと考えられ、三の曲輪へと登城道も発掘により確認されている。 |