能登 末森城


お城のデータ
所在地 石川県羽咋郡宝達清水町末森
遺 構 曲輪、土塁、竪堀、堀切
形 式 山城 築城者: 畠山氏 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
 前田利家が、加賀・能登・越中国主への飛躍するターニングポイントとなった末森合戦の舞台となった末森城は、宝達山系から日本海へと張り出す丘陵である末森山に築かれている。

 城の縄張りは、山頂に本丸を置き南北に連なる尾根筋に二の丸・三の丸・若宮丸・若宮と曲輪群が並び、東西に伸びる尾根筋には東に馬駆場、西に武家屋敷と呼ばれる曲輪群が配されている。

 本丸北側の搦手は、ブッシュと雑木に覆われ遺構確認を諦めたが、本丸〜若宮までの曲輪群に伴う堀切・竪堀や土塁などの遺構は容易に確認出来、佐々勢の猛攻に耐えた城の様子を窺い知れた。


歴     史
 末森城は、築城年代は定かでないが畠山氏によって築かれた。天正5年に畠山氏の本城七尾城を攻略した上杉謙信は、末森城を攻め落とし土肥親真を城代とした。

 天正8年に織田軍が攻略し、翌年に前田利家が信長から能登一国を与えられる。天正11年の賤ヶ岳の合戦後、利家は奥村永福を城代とした。

 天正12年、小牧長久手の合戦に呼応して徳川方に与した越中佐々成政が秀吉方の利家を能登・加賀に分断するため末森城を攻めた。落城寸前となった末森城を金沢城から利家が救援に駆けつけ、佐々勢は攻城を諦め越中へと撤退した。 


お城へのアクセス
鉄 道: JR七尾線宝達駅〜バス/竹生野
 車 : 北陸道金沢東IC〜国道8号線〜国道159号線
駐車場: 末森城の無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
利家が加賀100万石へと飛躍する切っ掛けとなった末森合戦の舞台。

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