三河 大給城


お城のデータ
所在地 愛知県豊田市大内町字城下
遺 構 曲輪、土塁、石垣、堀切
形 式 山城 築城者: 不明 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
 登城口から尾根筋を西に向けて約200m程進むと、大給城東端の堀切が現れる。この堀切は、城址西端の堀切と共に愛知県下では最大規模の堀切だ。(この堀切とところに案内板と石碑がある。)

 大給城の縄張りは、大きく4つの曲輪群からなる。 最高所にある本丸、その東に位置する二の丸、本丸南下にある居館、そして二の丸北の谷筋の水の手曲輪だ。城の要所には、石垣が築かれている。特に、二の曲輪の東南に食い違い虎口と一の曲輪の虎口付近だ。 

 大給城を訪れて、谷筋の水の手曲輪は感動ものだ。現代風に云うならば「砂防ダム」、もちろん規模の大小はあるが、石垣で築かれた堤防が二段築かれ、谷筋の防御と水の確保のために築かれていている。


歴     史
 大給城は、築城年代は定かではないが天文年間に長坂新左衛門が居城していた。松平氏4代親忠(当時は岩津城が松平宗家の居城)は、大給城の長坂氏を追い、次男乗元を大給城主とした。

 松平乗元は、大給を称して大給松平氏の初代となった。以後、大給松平氏の本城として代々相続する。

 天正3年、滝脇松平乗高によって攻められ落城する。その後大給松平氏の手に戻るが、この時城は修復・改修された。天正18年、大給松平家乗は家康の関東移封に従い、上野国那波1万石を領して移り大給城は廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: 名鉄三河線豊田市駅,、名鉄本線岡崎市駅〜バス/九久平〜徒歩約30分
 車 : 東名豊田IC〜国道155号線〜国道301号線
駐車場: なし(登り口付近路肩に2台程度の駐車スペースあり)


ひとくち MEMO
愛知県下では最大規模の堀切があるお城。
  • 大給城の登城口
    大給城へは、国道301号線で九久平町の信号を松平東照宮へと案内板に従って左折し、しばらく進むと右手に「大給城への案内板」がある。ここを右折して坂道をしばらく進むと、ちょうど峠の右手に登城口がある。

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