近江 大溝城


お城のデータ
所在地 滋賀県高島市高島勝野
遺 構 曲輪、天守台、石垣、長屋門(大溝陣屋)
形 式 平城(水城) 築城者: 織田信澄 築城年代: 天正7年


見 ど こ ろ
 現在、遺構はあまり残っておらず、わずかに本丸天守台の石垣が残るだけだ。この天守台は、野面積みの石垣だが、一つ一つの石の大きさに驚かされる。

 本丸天守台は田圃に囲まれているが、この田圃は水堀の跡だ。今も東側には沼が続き、琵琶湖は目と鼻の先まで迫っている。この城が、坂本城長浜城と同様に、琵琶湖に浮かぶ水城であった。今でもその雰囲気をよく残している。

 三の丸に分部氏が建てた陣屋の総門が残っている。この長屋門は、現在民家として使用されていてる。  


歴     史
 天正7年、織田信澄(信長の弟、勘十郎信行の子)が高島郡を領し、明智光秀の縄張りによって築城、打下城から居城を移した。

 天正10年、本能寺の変によって、信澄は明智光秀の娘を正室にしていたことから、明智方と見られて大坂で落命する。信澄の死後、大溝城には丹羽長秀、加藤光泰、生駒正親、京極高次が入れ替わり入城する。

 元和5年、京極氏に替わり分部光信が伊勢上野より2万石で入封する。この時、元和一国一城令の対象となり、三の丸を残して破却された。分部氏は 残された三の丸に陣屋を構え、明治まで代々この地を治めた。 


お城へのアクセス
鉄 道: JR湖西線近江高島駅〜徒歩約5分
 車 : 湖西道路志賀IC〜国道161号線
駐車場: なし。


ひとくち MEMO
琵琶湖に浮かんだ水城も今は天守台を残すだけとなったお城。

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