近江 打下城


お城のデータ
所在地 滋賀県高島市勝野
遺 構 曲輪、土塁、石垣、堀切、竪堀
形 式 山城 築城者: 高島玄蕃允 築城年代: 永正2年


見 ど こ ろ
 打下城は大溝古城とも呼ばれ、大溝城西側に位置する城山に築かれた城だ。麓の日吉神社境内脇から谷筋を登ると、二重堀切と横堀に囲まれた城山山頂部の南の曲輪群に至る。

 城の縄張りは、この山頂の『南の曲輪群』と北の尾根筋に展開する『北の曲輪群』から構成されている。

 南の曲輪群では、堀切と横堀・虎口の石垣。北の曲輪群では、土塁に囲まれた北主郭と虎口の石垣、そして虎口東側下にある畝状竪堀群が見応えがあり、浅井・朝倉の修築した遺構や豊織期に改修された遺構とともかく見どころ多い城だ。


歴     史
 打下城は、永正2年に高島玄蕃允によって築かれたと云われている。その後、元亀元年からの織田信長による志賀の陣では、林員清が居城した打下城に信長の陣所が置かれ高島郡攻略の拠点の城となった。

 天正元年、磯野員昌が城主となったが、員昌の養子となった織田信澄が天正6年に打下城東麓の琵琶湖内湖(乙女ヶ池)のほとりに大溝城を築き、打下城は廃城となったと考えられる。


お城へのアクセス
鉄 道: JR湖西線近江高島駅〜徒歩約5分(登城口/日吉神社)
 車 : 名神京都東IC〜湖西道路(国道161号線)
駐車場: 日吉神社の参拝者用無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
古大溝城とも呼ばれる志賀の陣の拠点となったお城。

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