山城 静原城(シロヤマ)


お城のデータ
所在地 京都府京都市左京区静市静原町城山
遺 構 曲輪、土塁、石垣、竪堀、堀切
形 式 山城 築城者: 明智光秀? 築城年代: 戦国時代


見 ど こ ろ
 静原城(シロヤマ)は、静原城(城谷山)のある山頂部から南東に延びる尾根筋の先端部に築かれている。尾根筋を大堀切で遮断し、城側には高さ約3m程の土塁を築いて防備を固めている。この大堀切は、シロヤマの遺構の中でも最大の見どろこといえる。

 この大堀切に面した曲輪を最上段にして、尾根筋先端部まで大小の曲輪が配置された連郭式縄張りとなっている。上段から2段目と3段目の曲輪虎口付近には石垣と石段の遺構や、井戸(溜井戸か)の周囲にあった石積みの遺構もある。

 この4段目の曲輪下から南へ比高約50mの間に竪堀が設けられ、4段目から下に連なる曲輪群の防衛ラインとなっている。4段目の南面、5段目の曲輪東南角にも石垣が残り、特に5段目の石垣はこの城のもう一つの見どころポイントだ。シロヤマの築城形式は山頂部の城谷山の遺構に比べて、曲輪の配置、虎口の配置など明らかに時代が新しい様式となっていた。


歴     史
 静原城(シロヤマ)は、戦国時代に明智光秀によって築かれたと考えられている。

 元亀4年に織田信長は明智光秀に命じて静原城(城谷山)の山本氏を攻め、3ヶ月前後かかって落城させた。この城攻め時の付城(相城)として築かれたとする説、城谷山落城後に眼下の街道筋の押さえの城として築かれたとする説がある。


お城へのアクセス
鉄 道: 京阪電車出町柳駅〜バス/静原
 車 : 名神高速京都南IC〜国道1号線〜府道32号線〜府道40号線
駐車場: なし


ひとくち MEMO
谷筋から45度以上もある急斜面を登るとそこには・・・・。
  • 静原城(シロヤマ)の登城口
    静原小学校正門から見て正面左手の山が静原城(シロヤマ)。小学校正門前から農道を約200m程進むと小川を渡ってすぐ左手の農道へ。この道は行き止まりとなるが、行き止まりの先にある水田あぜ道を山へ。正面に農作業用の小屋があり、この小屋の左手から山に入る。

    山に入ると、先ず山裾を50m程直進すると谷筋となる。この谷筋左手の急斜面を登れば静原城(シロヤマ)の南先端部の曲輪へとたどり着く。相当な急斜面なので足下はしっかりとしたトレッキングシューズ等が必要。四つん這い状態となるので軍手も要るよ。

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